あすたーいずむ
面倒がらない
あすたーいずむ
12/15 17:15:26
💕
Open-Source Obsidian Publish Alternatives
https://www.ssp.sh/brain/open-source-obsidian-publish-alternatives
あすたーいずむ
12/13 1:12:22
💕
そもそも base category と total category の 2 つのレイヤーのそれぞれで propositions-as-types の選択肢があって、どっちも命題だと二階論理、base だけ型だと高階論理、どっちも型だと多相型理論。全人類が Jacobs を読めば済む話か。自分も含めて。
あすたーいずむ
12/13 1:06:22
💕
「二階論理に対応する二階ラムダ計算」と言われたら、そりゃあ高階論理をやればいいとおもうもんね……。やっぱり「propositions-as-types だから実質同じ!」が荒っぽすぎるのがいけない気がする。
あすたーいずむ
12/13 1:02:03
💕 ⭐
高階論理を知るには何がいいかと聞かれて、トポスの内部言語とかの話かと思ったら、多相型理論(=二階ラムダ計算)の話だったことがあり、用語が悪いよ用語が……と思った
あすたーいずむ
12/13 0:54:05
💕 ⭐
高階関数と高階論理と多相型(高階と言われることがある)は全部別物なのに命題の型だの proposition-as-types だのでぐちゃっとなるので超ややこしくなっていてぐわーとなる
あすたーいずむ
12/11 20:45:22
💕
ロジバンの元のモチベーションにかなりコンピュータと人間の協働みたいなのあったっぽいしなあ。最近 Toaq という人工言語にちょっと興味があるので、Toaq の LSP とか tree-sitter とか、見てみたい(言うだけなら無料)
あすたーいずむ
12/11 20:39:19
💕
論理言語 (loglang) と言われる人工言語の LSP とか tree-sitter ならプログラミング言語と同じ精度でできそう。というかロジバンとかすでにありそう。
あすたーいずむ
12/11 15:45:46
💕
フォント頑張れ!(日本人、中国語フォントにかなり敏感そう)
Even Realities | スマートグラス & ウェアラブル技術
https://www.evenrealities.com/ja-JP/
あすたーいずむ
12/11 15:42:29
💕
Even G2、技術的制約なのだろうけど、緑の文字でドットも粗そうだから、確かに SF っぽさがすごい。というか、そのもとになった初期のコンピュータの画面に立ち返ってきているのかな
あすたーいずむ
12/11 15:35:07
💕🤙
すごそう
【“通訳するAIメガネ”日本上陸】元Apple Watch開発者のスマートグラス「Even G2」/英語ダメでも“日本語字幕”で解決/プレゼンの“カンペ”に変身/スマホ超える体験【1on1 Tech】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PCHgHV7PCRQ
あすたーいずむ
12/10 10:28:40
💕
印象が真逆でした。Agda の方が単純で、Haskell の方が幅広く使えるぶん複雑で難しいと思い込んでた。Haskell はまったくやったことがないのでただのイメージというか偏見ですが。
あすたーいずむ
12/10 10:24:03
💕 ⭐ 🤙
Agda からプログラミングに入門するの今の自分には最適な気がする。PLFA を使って講義した人の一覧に名前を知っている数学者がごろごろいるし。
あすたーいずむ
12/10 10:15:59
💕
読みたい
Programming Language Foundations in Agda – Table of Contents
https://plfa.github.io/
あすたーいずむ
12/10 9:51:59
💕 :mn_yes: 🌵 🤙
みんなが農家って言ってるのこれか
Steamで20% OFF:農家は Replace() されました
https://store.steampowered.com/app/2060160/_Replace/
あすたーいずむ
12/10 1:57:52
💕
……というのは純粋に哲学的な話なのでよいのだけれど、「AI に意識はないから~」という口上のあとに、実際に検証可能な AI の挙動についての主張(e.g. 「人間には想像もつかないようなふるまいをするかもしれない」)を続けられると、むむむとなってしまう。社会的な取り決めの話をするならわかるのだけれど
あすたーいずむ
12/10 1:43:52
💕
他者に意識があるにせよないにせよ、どうあがいても〈私〉に固有なもの(現実の世界の開き)はここに存在してしまうというのに、私に物理的に似ているというだけの他者が、現実性によって存在が担保されるところの意識を持っていると考える理由がどこにあるのか。私と似ているからという理由だけで、他者にも意識(世界の開き)があると仮定したところで、哲学的問題(私と他者の差異)はなにも解消せず、不要なレイヤーが一つ増えるだけではないか。むしろこの〈私〉に固有なものこそを意識と呼ぶべきではないのか。
あすたーいずむ
12/10 1:32:52
💕
「石に意識がない」としても同様なのだけど、それらは社会や言語の問題で、形而上学的な問題ではないと思う。別の言い方をすれば、他我問題の見かけ上の不思議さは、すべて〈私〉の問題に押し付けることができるし、そうすべきではないか